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女性たち
女性たち
心理学史
の
中
の
心理学史
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中
の
マミー・クラーク
立命館大学総合心理学部教授。学校法人立命館・
学園広報室長。日本心理学会教育研究委員会資料
保存小委員会委員長。『APA Public Interest』とい
うツイッターからの情報。マミー・クラークはアメリ
カでは心理学のみならず科学を切り開いた黒人女性
の一人として尊敬を集めています。
サトウタツヤ
マミー・クラークは,黒人医
師・フィップス(Phipps)の家に
生まれ,アメリカ大恐慌の時代に
おいてもかなり余裕があり幸せに
暮らしていた。高校卒業後は奨学
金が与えられHoward University
に進学して数学を専攻した。こ
こで将来の夫になる心理学の院
生,ケネス・クラークと出会っ
たこともあり,心理学に関心を
移し修士課程に進んだ。修士論
文 の テ ー マ はThe Development
of Consciousness of Self in Negro
Pre-School Childrenで あ り, 黒
人の子どもたちは極めて早くから
自分たちの「黒さ」に気づいてい
るという結論だった。
実は,マミーは大学を卒業して
から大学院に入学(9月)するま
での夏の期間にCharles Houston
という人権活動で有名な弁護士の
事務所で働く機会があった。時あ
たかも彼の事務所には,黒人の人
権が分離政策によって損なわれて
いるという訴訟が次々と持ち込ま
れている時期であった。「分離すれ
ども平等」という時代のアメリカ
を変えようという胎動をマミーは
肌で感じる機会を得たのである。
コロンビア大学の博士課程に
進学したマミーは,幼児の精神
能力についての発達心理学的研
究を行いながら,ケネスと協力し
て白人・黒人の子どもたちのアイ
デンティティ形成の問題や好み
(Preference;選好)の問題を研
究し,その結果を1947年に公刊し
た。これは後に「黒人形・白人形
テスト」して知られることになる。
アメリカでは,早くも1868年
(明治元年)に,アメリカ合衆国
憲法修正14条が発効しており,全
ての者に対する「法律の平等な保
護」が定められた。しかし,1896
年のプレッシー判決によって,複
数の人種のために分離した施設
が「平等」である限り,修正第14
条に違反しないということになっ
ていた。これが「分離すれども平
等」である。「学校が白人用と黒
人用に分かれていても,学校とい
う施設の品質が平等」であれば差
別ではないというのである。
これに対して,アメリカの黒人
とその弁護士たちは,分離は実質
的に不平等な隔離であり,この隔
離が心理的に黒人生徒を苦しめ傷
つけていると主張した。そして裁
判を起こし「分離すれども平等」
は憲法違反であると争った。その
途上でマミーとケネスの研究が注
目を浴び,夫のケネスは裁判で証
人に立つことになった。
「黒人形・白人形テスト」は黒
人の子どもたち(6 〜 9歳)に白
人の人形と黒人の人形を見せて,
「良い人形を教えて」「悪く見える
人形を教えて」「自分と似ている人
形を教えて」などと問いかけるも
のである。一連の実験においてマ
ミーとケネスは,黒人の子どもた
ちでさえ,悪く見えるのは黒人の
人形だとすることを劇的に示した。
また,その後に自分に似ている人
形を選ぶ時には,苦しさのあまり
泣き出したり実験室から逃げ出し
たりする子どももいた。悪い人形
として回答した黒人人形を自分に
似ていると答えるのが苦しかった
のであろう。しかし,ケネスによ
ればもっとショックだったのは,
むしろ,あきらめた表情で「悪い」
黒人の人形を「自分と似ている」
と答える子どもたちであった。そ
の子どもたちは,社会の価値を内
面化していたのであるから。
マミーたちの実験はいくつもの
バリエーションがあるが,黒人の
子どもたちの尊厳が損なわれてい
るということは示す結果は一貫し
ていた(と解釈された)。彼女た
ちの研究はブラウン対教育委員会
裁判に引用され,アメリカの公立
学校の人種分離政策撤廃に影響を
与えた。「分離すれども平等」は
憲法違反であり撤廃されるべきだ
という結論に導いたのである。
アメリカ史上,最も重要な発達
心理学の知見と言えるという評価
もある(ブルームによる)。
[第 4 回]
Clark, Mamie(1917-1983)
http://www.feministvoices.com/
mamie-phipps-clark/
http://www.naacpldf.org/brown-at-60-the-doll-test